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APF Live UPDATE 97/12/23


CAMBODIA Report

〜 あの総選挙で何が変わったか 〜

 1993年5月。カンボジアでは長期にわたる内戦に終止符を打つべく、国連による総選挙が行われた。日本政府が初めて自衛隊を国連PKO(平和維持活動)に参加させるなど、私たち日本人にとっても、この選挙は歴史的な出来事であった。
 選挙の計画実行にあたったのは、明石康氏が代表を務めるUNTAC(国連暫定統治機構)である。また、この選挙は国連にとっても、今後の紛争解決に向けた壮大な計画であった。

 カンボジアの主な紛争当事者は、悪名高いポル・ポト派、シアヌーク殿下の子息であるラナリット氏が率いるラナリット派、そして選挙までの間、首都プノンペンをはじめ主要都市を実効支配してきたフン・セン派である。国連によれば、選挙は投票率80%を超え大成功ということになるが、私たちが取材をしてきた限りでは、その現実は国連の評価とは程遠い。選挙後に何が変わったかといえば、途中で選挙不参加を表明したポル・ポトが正式な反政府勢力になり、選挙に参加したフン・セン派とラナリット派が正統政府になっただけである。つまりカンボジア国民を苦しめてきた紛争の源はまったく変わっていないのだ。

 選挙後も、フン・セン、ラナリット政府とポル・ポト派との間で戦闘は絶えなかった。これでは勢力地図が塗り変わったに過ぎない。選挙は勢力地図を塗り替えるために行ったわけではない。しかも、この選挙では誠心誠意カンボジア和平を願っていた二人の日本人(文民警官とボランティア要員)が尊い命を落としている。
 そして今度は、'98年の総選挙を前に、軍事力ではフン・セン派に劣るラナリット派が、ポルポト派を取り込もうとして、再び三派入り乱れての内戦状態になってしまった。紛争当事者の一人、ラナリット殿下は現在パリの別邸で快適な暮らしを送っているが、ラナリット派居住区の人々はタイとの国境に避難し、現在、難民生活を余儀なくされている。どの紛争地でも政治家や指導者といわれる者たちは勝手な正義を掲げて戦っているが、いつもその儀性になるのは一般市民である。戦闘は'98年の総選挙へ向けて激化の様相を見せているが、私たちAPF通信社は、今後もカンボジア取材を精力的に行っていきたいと思う。

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(18'19")

出演


山路 徹 
(APF通信社)

長井健司
(APF通信社)


プロデューサー : Nyan 夏井
ディレクター  : Hiro ハタノ
カメラ     : 片山浩秋 (APF通信社)
制作進行    : mai
Webデザイン : Hiro ハタノ
HTML    : Hiro ハタノ
エンコーディング: Hiro ハタノ

Photo:Copyright 1997 Asia Press Front All rights reserved.


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